僕の考え方を訂正してくださいm(__)m

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僕の考える「自分の敵」とは

 皆さんは今、学生でしょうか?社会人でしょうか?あなたには、この人には負けたくないと思っている人がいまか?「ライバル」がいますか?僕にもそんな人が過去に何人もいました。人間だったら、誰しも思うかもしれませんね。その考えを目標達成の過程としてるかもしれませんし、その考え自体を目標としている方もいるかもしれませんね。しかし、この歳になって、僕はその考えは自分の成長に繋がりにくいなと考えたのです。

 まず前提として、僕はこの考えを否定するつもりはありません。現に学生の頃、僕は誰かを越えたいという気持ちから力をつけた経験もありますし、成長には「憎しみ」が必要という考えもあるので、全てが間違っているとは思いません。しかし、その人を越えたからといって、自分が成長しているとは限りませんし、その目標は常に同じ高さにあるとは限らないからです。いったい、どういうことなのか?これから説明していきます。

 なぜ自分が成長しているとは限らないのか?それは、人間は変わっていく生き物だからです。そこにあなたも、その相手も該当します。そして、そこには「成長」という意味も「後退」という意味も含まれています。あなたに絶対越えたいという「ライバル」が現れたとします。そして、努力を重ねた上でその人を越えたとします。しかし、あなたが頑張っている間、その「ライバル」が努力を怠り、あなたが目指していた時の力を持っていなかったとすると、本当に目標を達成したのでしょうか?また、コンディションというのもありますから、絶対的に越えたとは言い難いですよね?また、越えた先に真の目標があった場合はどうでしょうか?あなたが行きたい進学先があったとします。しかし、今の学力では合格できない。そこで、ある人よりも点数を取ってやると決めたとします。努力してその人より入試の点数が良かったが、合格点に達することができなかった。こう考えれば、納得していただけるでしょうか?

 じゃあ成長するためには、どうすればいいのか?それは、越えるべき相手を変えるのです。「昨日の自分自身」に!「昨日の自分自身」を越えれば、あなたは確実に成長しています。逆に越えられなければ、課題が見えます。そうすればあなたの人生は充実します。過去に何かを成し得た人の中で、過去の栄光に縋る人がいますね。あれは、「昨日の自分自身」を越えなかった証拠。そんな人は「あれが俺の全盛期」と思っているかもしれません。そんな人生楽しいですか?少なくとも僕は嫌ですね。だからこそ僕は、過去で最も輝いていた自分に負けたくない気持ちを持ちつつ、「昨日の自分自身」を越えれるために日々努力しています。

 以上で今回の投稿を終わります。僕の考えを訂正してくださいm(__)m