僕の考え方を訂正してくださいm(__)m

気軽に遊びに来てくださいね♪

僕の考える「自分の敵」とは

 皆さんは今、学生でしょうか?社会人でしょうか?あなたには、この人には負けたくないと思っている人がいまか?「ライバル」がいますか?僕にもそんな人が過去に何人もいました。人間だったら、誰しも思うかもしれませんね。その考えを目標達成の過程としてるかもしれませんし、その考え自体を目標としている方もいるかもしれませんね。しかし、この歳になって、僕はその考えは自分の成長に繋がりにくいなと考えたのです。

 まず前提として、僕はこの考えを否定するつもりはありません。現に学生の頃、僕は誰かを越えたいという気持ちから力をつけた経験もありますし、成長には「憎しみ」が必要という考えもあるので、全てが間違っているとは思いません。しかし、その人を越えたからといって、自分が成長しているとは限りませんし、その目標は常に同じ高さにあるとは限らないからです。いったい、どういうことなのか?これから説明していきます。

 なぜ自分が成長しているとは限らないのか?それは、人間は変わっていく生き物だからです。そこにあなたも、その相手も該当します。そして、そこには「成長」という意味も「後退」という意味も含まれています。あなたに絶対越えたいという「ライバル」が現れたとします。そして、努力を重ねた上でその人を越えたとします。しかし、あなたが頑張っている間、その「ライバル」が努力を怠り、あなたが目指していた時の力を持っていなかったとすると、本当に目標を達成したのでしょうか?また、コンディションというのもありますから、絶対的に越えたとは言い難いですよね?また、越えた先に真の目標があった場合はどうでしょうか?あなたが行きたい進学先があったとします。しかし、今の学力では合格できない。そこで、ある人よりも点数を取ってやると決めたとします。努力してその人より入試の点数が良かったが、合格点に達することができなかった。こう考えれば、納得していただけるでしょうか?

 じゃあ成長するためには、どうすればいいのか?それは、越えるべき相手を変えるのです。「昨日の自分自身」に!「昨日の自分自身」を越えれば、あなたは確実に成長しています。逆に越えられなければ、課題が見えます。そうすればあなたの人生は充実します。過去に何かを成し得た人の中で、過去の栄光に縋る人がいますね。あれは、「昨日の自分自身」を越えなかった証拠。そんな人は「あれが俺の全盛期」と思っているかもしれません。そんな人生楽しいですか?少なくとも僕は嫌ですね。だからこそ僕は、過去で最も輝いていた自分に負けたくない気持ちを持ちつつ、「昨日の自分自身」を越えれるために日々努力しています。

 以上で今回の投稿を終わります。僕の考えを訂正してくださいm(__)m

 

僕の好きなアニメのキャラとタイプ

 あなたは、アニメやマンガが好きですか?そして、その中に好きなキャラはいますか?今、巷では「推し」なんて言葉が流行していますが、アニメやマンガのキャラにも使われることがありますね。今回のテーマは、その「推し」とは異なりますが、僕の好きなキャラクター達の関共通性について書いていきます。

 まず、好きなキャラクターについてです。

Dragon Ballなら「孫 悟飯」 ワンピースなら「ロロノア・ゾロ

NARUTOなら「マイト・ガイ」 SLUMDUNKなら「木暮」

黒子のバスケなら「緑間 真太郎」 鬼滅の刃なら「伊之助」

といったところでしょうか。キャラのイメージカラーが緑多めなので、僕が緑色が好きだからと思われる方がいるかもしれませんね。しかし、僕が好きな色は赤色です。これは自他がに認めています。じゃあ、何が共通しているのか?それには、今紹介したキャラクターの性格が関係しています。

 僕には、好きな人に求めるものがあります。(異性関係なく)いわゆるタイプですね。聞いてきた人が大人であろうと子どもであろうと、僕は迷わず答えます。「どんなことも前向きに頑張る人」だと。そして、僕もそうなれるように毎日努力しています。また、これは好きなキャラクターにも影響していました。やはり目立つのは主人公です。これは否めません。しかし、僕が先ほど紹介したキャラ達の多くは、主人公より努力していると個人的に思っています。

 まず、「孫 悟飯」ですが、彼は修業をサボりがちではありますが、その分の時間を学問に投じています。Dragon Ballの多くのキャラクターは「武」のみを磨いていますが、「孫 悟飯」は自分の夢をかなえ、「文武両立」を遂げています。

 次に「ロロノア・ゾロ」ですが、彼は船員がワイワイやっている中でも一人で修業している姿が描かれています。しかしながら、自分が認めた船長を立てている姿も僕はかっこいいと思います。

 NARUTOの「マイト・ガイ」は、皆さんもご存じの通り「努力の男」です。長年、ネタキャラ扱いされた彼ですが、クライマックスのマダラ戦で彼は多くのファンを獲得しました。幼い頃、落ちこぼれとして非難されてきた彼ですが、熱い気持ちを持ち続け、忍の中でも最強とされていた「マダラ」を体術のみで認めさせた男です。

 SLUMDUNKの「木暮」ですが、この作品はキャラの多くの努力しているシーンが描かれます。逆に、「木暮」の努力しているシーンは他のキャラに比べると少ないです。じゃあ、何故このキャラを選んだのか?それは、湘北高校で三年間頑張った二人の内の一人だからです。三年間頑張ったのに中々報われない。そして、入部した「桜木」達に活躍の場を奪われる。しかし、「陵南戦」の最後、3Pシュートを決めます。三年間頑張ったことが報われた瞬間。あのシーンが僕は一番好きなんです。

 黒子のバスケの「緑間 真太郎」。彼は自分が思う最高の努力をしながらも、運を高めることまでに手を抜かない。星座占いのラッキーアイテムがダルマであろうと、毎日持ち続ける姿は半分ネタ扱いされていますが、それまで勝ちにこだわるその姿勢が僕は憧れています。彼がよく口にする「人事を尽くして天命を待つ」。この言葉を彼のおかげで好きになりました。

 最後に「伊之助」。鬼滅の刃では、人気のキャラではないと思います。しかし、彼の強敵に立ち向かうときに自分の心を奮わせるが良いなと思いました。本当は怖いけど逃げたくない。生きる上で大事なことだなと感じました。

 このように「推し」のキャラがルックスや強さで決める人もいますが、僕が好きなキャラを選ぶ基準は、「どんなことも前向きに頑張っているか」です。

 

僕の「習慣」に対する考え方

 みなさん、お久しぶりです!2023年になりましたね!前回の更新が1年以上前(汗)でも、サボってたわけじゃありません(-_-;)2022年は、一年間10個以上の取り組みをしました。その中でも、Instagramのストーリー機能を使ったものがあり、毎週金曜に本や動画、実体験で学んだことを文章化するものがありました。ストーリー一枚につき100文字前後書き、それを10枚ぐらい投稿していたので、それだけでお腹いっぱい(;^ω^)ってことがあり、ブログは長期休みに入っていました。しかし、その取り組みも去年の12月31日に終了し、今年はまた新たな取り組みをいくつか始めました。(このブログも関係しています。)興味がある方は、最後の方に紹介するるので是非見てみてください。

 

【習慣に対する考え方】

 皆さんは、何か習慣にしていることがありますか?中には答えらないひ人もいるかもしれませんね。しかし、習慣とはそういうものなのです。日本人の多くは、「入浴」や「歯磨き」を習慣としています。でも、意識してやっている人はあんまりいないでしょう。そうです、習慣はつまり「当たり前」。意識しないことで、初めて習慣と言えるのです。ここで、私が習慣にすることが何故大切だと考えるかというと、習慣は人を成長させるために欠かせない物だと考えているからです。何かを成し遂げた人ほど、習慣(ルーティン)を大切にしています。プロ野球選手のイチローが毎朝カレーを食べてる有名な話がありますね。昔の偉人で、決まった時間に長時間の散歩をする人が多かったそうです。ベートーヴェンなんかは、コーヒーの豆を挽く時に必ず60粒と決めていたそうです。こんな風に毎日何をするか決めて生活することで、マインドセットすることができます。モチベを一定の状態で保持することができます。そのため、だらけたりする事が少なくなるのです。

 また、習慣化する事でこんな良いこともあります!あなたが今日から毎日、100文字にまとめた日記をつけなさいと言われたら、どう思いますか?「100文字なら…」と思う人もいるかもしれませんが、大抵の人は「毎日はめんどくさい」と思うでしょう。しかし、毎日してると次第にその気持ちは薄れ、何も感じなくなります。何かを習慣化する時に慣れてくる期間が、「3週間」と言われています。つまり3週間耐えれば、どんなことも習慣化できるということです。100文字の日記(これからは「100文字日記」と略します)を続ければ、間違いなく文章を書く事に慣れてくるでしょう。ボキャブラリーも増えてきます。また、何となく生きてきた当たり前の日常の中で、何か日記に書くことがないかと探すようになります。それだけで意味のある一日になりませんか?そして、習慣にはすごい力があります。例えば、あなたが毎日10km走る事を決めたとします。最初はかなりしんどいと思います。しかし、習慣化してしまえば、もうしんどさはなくなります。僕は新体操を7年間していましたが、4年ほど憧れてた技がありました。簡単に言うと、空中で2回回るバク宙です。そして、初挑戦の時はものすごく怖かった覚えがあります。これも毎日練習していく上で怖さがなくなり、次にその技を発展した技に挑戦したり、その技を加えた連携技に挑戦したりしました。つまり、最初はありえない事でも、慣れてしまえばそれも当たり前に変わるのです。しかし、1回1回の難易度が上がれば上がるほど、挫折の可能性も高くなります(^∀^;)最初は、毎朝のベッドメイキングなんかが簡単ですし、効果的なので、めっちゃオススメです!

 こんな風に、僕は習慣が大切だと考えているわけですが、2023年はこんな事を頑張ります!

【2023年から始めること】

「抱負」数字で結果を出す

「取り組み」ブログ15回更新

                        読書20冊

                        株を始める

                       中田敦彦のオンラインサロン加入

                      炭酸飲料禁止

                      体重50kg代キープ

                       新しく始めたインスタアカウントのフォロワー500人突破

                      https://instagram.com/dream_sou?igshid=ZDdkNTZiNTM=

                      ↑フォローお願いしますm(_ _)m

                      インスタの過去アカウントにて、毎日日記

                        https://instagram.com/catarrhist_style?igshid=ZDdkNTZiNTM=

                       ↑毎日日記用アカウント

また、毎日やってるルーティンも紹介します!

〇スーツ出勤

〇ベッドメイキング

午後の紅茶 ストレートティーを毎日飲む

〇19時退勤

〇15分入浴(その時に読書)

〇食事後に軽く運動

〇ラベンダーの香りのスプレーをして、入眠

ざっとこんな感じです!

是非皆さんも、自分流のルーティンを探してみてください(´ᴖωᴖ`)

僕なりの「勉強する理由」

小学生の頃、漢字テストで0点を取り、高校生の時は苦手な教科のテストを赤点ギリギリ免れた時にガッツポーズをとってた過去の自分。今は自ら学びたいと思い、読書を趣味とし、毎日小学生に勉強を教えています。こんな僕ですが、学ぶことが好きになったのは6年前の大学生の時から。それまで勉強に関しては、面倒くさく苦手でした。そんな僕の現在の「勉強する理由」を今日は、お話させていただきます。
「勉強する理由」といっても、沢山あります。その中でも、今回は2つの僕なりの学習に対する解釈を紹介します。まず1つ目の理由は、「学習は知識をつけるだけではない。」ということです。もちろん、学習の本質は、新たな知識を身につけることです。漢字だったり、計算式だったり、歴史だったり。でも、それだけだと、子ども達は間違いなくこう言います。「これって将来役立つの?使う事がないなら学ぶ必要ある?」確かに、学習した事全てが将来役立つかというと、そんなわけはありません。逆に、学校の授業で習う半分は日常で使う事はありません。ではなぜ学習するのか?僕は、「学習を通して別の力を育ててる」と考えています。国語は、言語力や文章力を高めます。この2つは、人間関係構築に欠かせません。コミュニケーション能力向上に繋がります。なんについて、どの順番で話せば相手に伝わるか。どのようになんと書けば、相手に読みやすく伝わるのか。また逆も然り、話を聞く時も文を読む時も、どのようにすれば相手の気持ちを汲み取れるか。これの基礎は、「国語」で学ぶことが出来ます。言語力、文章力の2つの能力が身につけば、他者と関わること、他者の考えに触れることが好きになれます。次に、「算数・数学」と「理科」ですが、この2つは、思考力を高めます。どうすれば自分の達成したい結果にたどり着くのか?その道筋を立てる力が身につきます。「算数・数学」のほとんどの問題の答えは1つです。「理科」は、ある事象に対する予想と実験を繰り返します。どうすれば自分の思っているようになるのか?これは勉強以外でも、たくさんの場面で抱く感情です。それを解消するために、この2つを学ぶのです。「社会」は、そのままですね。自分の生活をより良くするために学ぶものです。生活を良くするためには、社会の仕組みを知らなければならない。歴史は、その仕組みがどのようにしてできたのか?また、次の時代はどんなことが起こると予想できるか?このために学んでいると、僕は考えています。長くなりましたが、一つ一つの勉強には、裏付けられた意味があるのです。
さて、もう1つの理由ですが、これは僕が考えた完全オリジナルの理由です。多少矛盾があると思いますので、ご指摘くださいm(_ _)m僕は、「学力は平等の価値」だと考えています。物価に例えると、僕はアイドル関係にあまり興味がありません。ここで中々手に入らないアイドルグッズがあるとします。このグッズの価値が10万円。僕は「高すぎる」と評価をくだします。しかし、アイドルファンからしたらどうでしょうか?物によっては、「安すぎる」と答える人もいるでしょう。また、僕はボードゲームが大好きです。平気で1万円のゲームを買った時、周りからは「高すぎる」と言われましたが、僕はそうは思いませんでした。では、お金の価値はどうでしょうか?1万円の価値は皆同じです。1万円でできる事が人によって違うなんて、そんな話はありません。確かに1億円持ってる人から見た1万円の感覚と1000円持ってる人からみた1万円の感覚は多少異なります。しかし、1億円の人も1000円の人も、1万円で買える物、できる事は同じはずです。ここまでは、物の価値の話をしましたが、僕は能力の価値も似ているなと思いました。僕はバク転ができます。これはできない人からしたら、すごい特技だと思います。しかしながら絵を描くことがとても苦手で、絵を描くことに長けてる人を尊敬しています。僕は、スポーツ系の大学に進学しました。推薦でしたので、実技試験がありました。もちろん問われるのは、「スポーツとしての技量」です。どんなに絵が上手に描ける人でも、その能力だけでは合格するのは困難でしょう。逆に僕が芸術大学の試験を受けるとします。僕の才能では、間違いなく落ちるでしょう。これは先程のアイドルグッズとボードゲームの関係と似ていませんか?「運動ができる」も「絵が上手」も、どちらもすごい能力です。しかし、場所が変われば、必要とされる順位が変わります。しかし、「学力」はどうでしょうか?「学力」は、進学において必要な能力です。それは、「学力」は他の能力に繋がる可能性が高い能力だからだと、僕は思います。また、円高・円安というものもありますが、これは学力偏差値と同じです。皆が1万円を持っていれば、必然的に価値が下がります。平均点が90点のテストと平均点が60点のテストでは、同じ80点でも価値が違います。こういった点でも、「お金」と「学力」は似ていませんか?つまり「学力」とは、誰もが欲しく、色んなことに繋がる可能性があるの能力だと、僕は考えます。
ここまで長々述べてきたわりには、ふわふわしたまとめになってしまい、申し訳ありません。僕はこのような考えで、学習するモチベーションを高めています。僕は学力の高い学校に通っていたわけではありませんし、大金を手にした事もありません。しかし、少なからず言えることは、「学力」も「お金」も皆が欲しがるものですが、この2つだけでは、幸せになることは難しいのではないかと思っています。逆に言えば、方法はこの2つ以外にもあるということです。現に僕は、どちらも十分と言えるほど手にしてはいませんが、十分に幸せです。なので、今の子ども達には、「学力」と「お金」だけが全てではないと思いながら育って欲しいですね。
以上で今回の投稿を終わります。僕の考えを方を訂正してくださいm(_ _)m

僕のSNS等の使い方

 ザ・田舎で生まれた僕。近所で野生の鹿や猿にも出会えるほどの田舎で生まれました。家族も機械に強い者がおらず、PCが家に始めてやってきたのも、中学一年生の時。それまでは、インターネットと無縁の生活をしていました。中一のインターネットを活用し始めてから、YouTubeを見るようになり、それが僕の特技である「アクロバット」を始めるきっかけになりました。そして、中二になってから、「GREE」と「モバゲ

ー」が流行りました。この二つが、僕がSNSを始めたきっかけですね。どちらも今は、サービスが終了してしまい、少し寂しいです。話を戻しますが、中二から

僕は色々なSNSを活用してきました。「Facebook」「DECOLOG」「YouTube」「Twitter」「Instagram」そして、この「はてなブログ」。(SNSではないものも入っています。)これらを活用しながら、僕は今まで何らかの形で、ほとんど毎日更新していました。一日5回ぐらい更新していた時もあるので、それはもうフォロワーからしたら、うるさいほどに。それでも僕がほぼ毎日更新を続けているわけを今回述べていきます。

 

①自己満足

 SNSをやりたい気持ちの大半がこれです。何かを成し遂げた時の、思い出ができた時の、締めという感じですかね(笑)。この時点で、僕も現代人なんだなと思いました。SNSには様々な使い方があります。他人の投稿を見ることをメインに活用している人も多くいると思います。僕はその逆ですね。自分の投稿をメインに、他の人の投稿はあまり見ません。理由は特にありませんが、もともと自分に関係がないものは興味があまり持てないの(ひねくれ者)です。たまに他の人の投稿を見たくなる時があり、その時にまとめて見てます。つまり、僕はSNSを、自分のことを他人に知ってもらうためのツールだと認識しているのです。

 

②自分の存在を知ってもらうため

 突然ですが、僕は小学校に入学する前から今まで、「有名になりたい」という目標を持っています。当時はもちろん、SNSなんてものは存在していません。そこから、冒頭で話したGREEを始めた時に移るのでが、その時から趣味として、本格的にアクロバットを始めました。中学生の頃は自分のケータイを持っておらず、母のケータイを借りてGREEをしていましたが、アクロバットの練習動画をGREEに載せたところ、知らない人が反応してくれました。今まで知り合いとしか交流していなかったのですが、そこからたくさんの出会いがありました。顔すら合わしたことのない人との交流は、刺激的で面白かったのを覚えています。また、他の県の人達や、後に同じ高校に通う人達と交流なんかもしました。その中でも特に印象的だった出会いは、GREEを始める一年前に、YouTubeでアクロバットの動画を見漁ってた時に見つけた「立川アクロバットボーイズ」のメンバーのGREEアカウントを見つけたことでした。最初はバク転できたらいいやって気持ちだった僕は、「立川アクロバットボーイズ」の動画を観ることで、さらに新しい技を覚えたいという意欲が高まりました。そのメンバーの人とやり取りができたのだから、心の底から嬉しかったのを覚えています。それが、後に僕の師匠である「WATAさん」。彼に会うことが、僕のアクロバットを彼に見てもらうことが、僕の目標になりました。それと同時に、高校からアクロバット動画を載せるため、YouTubeで自分のアカウントを作成し、通算300本以上の動画を投稿しました。最終的に、「WATAさん」に二回もお会いすることができ、他の憧れの人にも会うことができました。また、YouTubeや他のSNSを通して、色んな地域でアクロバットをやっている仲間と交流したり、憧れを追いかけて始めた僕のYouTubeの動画を観て、僕を憧れてくれる存在も出てくるようになりました。そんな風に、SNSは僕の存在をたくさんの人達に知らせてくれ、たくさんの人達と僕を繋げてくれました。これが、僕がSNS固執する理由でもあります。

 

③日記として

 これは、①の「自己満足」と似ています。僕は、基本的に自分の投稿への他者の反応に、あまり気がありません。もちろん高評価の数が多いに越したことはありませんし、フォロワーの数も増えることは嬉しいです。しかし、その二つが伸びないからと言って、今のスタイルを崩すつもりはありません。自分が楽しくて、好きでやってることを、他人の評価で変えたくないというのが理由です。そのスタイルの一つが、このような「長文」です。僕は、SNSを日記として使っています。ブログならまだしも、TwitterInstagramにも平気で、長文を書きます。文章が長すぎて投稿できないことも珍しくはありません(笑)。そして、その長ったらしい文章を皆全部読んでないことも知っています。それでもいいんです。これは別に開き直っているのではなく、僕的にこのやり方がベストなのです。詳しく説明すれば、その瞬間に感じたものや思ったものの感覚を、もう一度味わうことは基本的に無理です。その時の気持ちはその時にだけしかないのです。例えば、サッカーの大会に優勝したとして、その時の気持ちは、同じ人間だったとしても、当日と一日後で大きく変わります。極端に言えば30分前後でも気持ちは変わります。人間はそれほど冷静な生き物です。自分はその感動を冷ますのはもったいないと思い、その時に思いついたことを思いついた分だけ書くのです。正直、自分が書いた過去の長文を読み返すことは基本しません。でも、今この瞬間の気持ちを忘れたくないという気持ちが、僕に長文を書かせるのです。

 

④気持ちを文章にすることが好きだから

 最初に告げますが、僕は「文章力」がありません。センスも表現力もないし、説得力もないです。ただ、文章を考えるのが好きなだけです。小学生の頃の僕は、文章を読むのも書くのも、考えるのも嫌いでした。当時は、自分の説明したものが理解してもらえないことも数多く、読書感想文に頭を悩ます日々でした。小説なんかを読むのが苦手だったのですが、マンガはよく好んで読んでいました。高校入学する手前、幼馴染と「DECOLOG」というものを始めたのですが、簡単にできるブログで、そこで文章を考える楽しさを味わえました。また、マンガが好きだったというのもあり、クサいセリフを並べる文章をよく書いていました。それは今も続いていますが…。とにかく、自分の思ったことを相手に伝えるために考えながら投稿することにハマってしまい、今のスタイルに至ります。また、文章を読むことも好きになり、大学生になってからは、読書が趣味にもなりました。「小説」や「ビジネス書」、「自己啓発書」や「心理学書」なんかを好んで読んでいます。小学生の時の自分とは、真逆なものを好んでいます。当時に比べたら、少しだけ説明力も付いた…気がします(笑)。

 

⑤周りの環境の変化・自分の気持ちの保持

 これが、僕が今SNSを活用している最新で最大の理由です。

 大学三年から、「新体操日本一」、「教師現役合格」という、僕にとっては、かなりレベルの高い目標に向かって、何よりも優先して取り組んできました。元々メンタルが弱いまま育ってきた僕ですが、大学でなんやかんやあって、「メンタルが弱い」から脱却しました。そして、昔から陰口や悪口が嫌いで、特に他人に興味がないのも重なって基本的に他人の悪い所を本人がいない場で話しません。こういったことから、自分のSNSにネガティブな発言や、他者に対する悪態をすごく嫌います。実際にこれまで、仲が良かった友人がそのような投稿を続ければ、ミュートをしたり、フォローを外したりしていました(そのような投稿がなくなった時に元に戻しましたが)。それぐらい、自分の価値を下げる投稿が本当に嫌いです。例え自分が良くても、そのフォロワーは絶対に気持ちが良くない。そう大学卒業までは思っていました。そして、あるビジネス書を読んでいる時に、「自分を変えたいときは、まず環境を変えること。」というを学びました。これはSNSにも活用できるんじゃないかと思い、ある取り組みを始めました。それは、「自分が率先して色々なこと(特に苦手なこと)に挑戦していることの投稿」「今の自分の計画や上手くいっていることだけの投稿」「自分が気に入っている名言の投稿」です。これだけでは意味が分からないので、詳しく説明させていただきます。

 まずは、「自分が率先して色々なこと(特に苦手なこと)に挑戦していることの投稿」についてです。どんなに偉そうなことを述べていても、その人が何も成し遂げていないのであれば説得力がありません。また、成功体験のみの投稿では、他者の生活には結び付きにくい。「あの人と私は違う。」という考えで完結されて終わりです。では、日々の頑張りの投稿はどうでしょうか?一日の与えられた時間の長さはみな平等。特定の成功者を除けば、一日の頑張れることは基本誰でもできることなのです。ただ、その積み重ねが難しい、その一歩を踏み出すのが怖いです。しかし、周りの人(特に近しい人)が、日々頑張っている姿を目にすればどうでしょうか?「自分も頑張らなきゃ」という思いを抱く人も少なくないと思います。

 次に、「今の自分の計画や上手くいっていることだけの投稿」です。SNSの特徴として、「自分の良い所だけを切り取って投稿する」というのが挙げられます。これに対して、僕は否定しません。何なら、僕もこれに乗っかっています。自己承認欲求を満たすための機能も持っているSNSなので、使い方としては間違っていないはずです。ここで思い返してほしいのですが、SNS上で自分の失敗だけを投稿しているアカウントはないと思います。少なからず、自分はこれまでに出会ったことがありません。ネタとしての失敗談なんかを投稿しているアカウントは存在しますが、「リストラされました」「離婚しました」「経営している会社が倒産しました」そんな投稿ばかりのアカウントはないはずです。なぜなら需要がないから。話を戻しますが、僕も「自分の良い所だけを切り取って投稿」しています。自分自身、出来が悪い人間という自覚はあります。今までたくさんのことに挑戦してきましたが、成功の確率は良くて二割。それほどたくさんの失敗を重ねています。なのに、掲げる目標は常に自分の限界の上のものばかり。そんな感じの僕ですが、投稿の内容には基本的に嘘、偽りはありません。本当に達成したこと、もしくは本当に目指していることだけです。そして、僕の投稿を見ているは、僕を「色んな事に挑戦している人」「色んな事に挑戦してる人」と思ってくれている人もいるようです。印象操作ですね(笑)。この一連の流れで僕が生み出しているのが、「現状況で最高の自分」です。先ほども述べたように、僕の投稿に基本的に嘘はありません。そして、失敗をした投稿もほとんどしません。それだけの情報で生まれる僕は、実際の自分が達成したことをほとんど失敗せずに成し遂げた僕です。本当はめちゃくちゃ失敗しているのに(笑)。なぜそんなことをするのか?その理由としては、自分への「追い込み」です。僕に好印象を抱いてくれている人を裏切りたくない。その気持ちが、自分の頑張りに繋げているのです。誰しも、今より成長した自分になりたいと思っているはずです。それは僕も同じ。そこで僕は他者を巻き込んで、自分の逃げ道を自らなくしているのです。裏切りたくない、ならもう頑張るしかない、と。そして、自分の姿が他の人の心にも火をつけれることを期待しています。

 最後に「自分が気に入っている名言の投稿」ですが、これは至ってシンプルです。元気がもらえるから、やる気が出るから。人間は、周りに少しでも自分の助けに繋がるものがあれば、それにすがりたくなります。音楽や映画もそう。失恋したら失恋ソングが聴きたくなる、感動したくなったら泣ける映画を観る。頑張りたいから、自分の背中を押してくれる名言を読む。僕がここでやっているのは、自分の好きな言葉や鼓舞してくれる文章をSNSに投稿します。その言葉が、他の人の頑張りに繋がってくれればうれしいなと思い、続けています。

 

 僕のSNSの使い方という誰も興味がない内容なのに、めちゃくちゃ長くなりました。ごめんなさい(笑)。SNSは当初の目的からかなり進化しています。「色んな人と繋がる」だけに留まらず、それを「ビジネス」や「教育」、「趣味」、「ストレス発散」、様々な用途で活用されています。現在の僕のSNSの活用の仕方は、自分の生き方を変えるためにやる気を高め、その「気持ちを保持」することと、そのために「環境を変える」ためです。

 

 以上で今回の投稿を終わります。僕の考えを訂正してくださいm(__)m

僕の「目標」の大切さについての考え

 先日、上映中の「竜とそばかすの姫」を観に行きました!あまり話すとネタバレになってしまうので控えさせていただきますが、とても「夢」があるお話でした。「夢」、とは少し異なりますが、今回は「目標」の大切さについて、僕なりの考えを述べていきます。まず、「夢」と「目標」の違いに対して、様々な見解があるとは思いますが、僕は、叶えたいことを「夢」よりも「目標」と言った方が、より現実味を帯びて感じ方が変わるという安易な考えです(;´・ω・)

 では、なぜ「目標」が大切かについて語っていきます。が、その前に注意喚起させていただきます。僕自身、特に大きな成功を掴んだわけでもなく、万人から認められるような実績もありません。しかし、何の根拠もなく夢をみさせるような軽はずみな発言をする事もあります。それは僕の人生経験がまだ浅いということは重々承知しています。それでも、何事もポジティブな方が、同じ時間を幸福に生きていけるんじゃないかという僕に考えです。「成功と失敗」と「幸せと不幸せ」は別ですからね!(これはまた違う機会でお話しさせていただきます。)

 「目標」が大切な理由のその1 人生がより楽しくなる

 皆さんは「課題」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?人によって様々だとは思いますが、学校の宿題をイメージする方もいるのではないでしょうか?僕自身、幼い頃は学校の宿題と聞くだけで、耳鳴りがしてました(-_-;)宿題等の課題は、自らが計画したもではなく他者から提示されたもの。つまり「消極的目標」です。他者から出された課題を達成することも大切なことですが、楽しさには中々結びつきません。「消極的目標」のみで人生を埋め尽くせば、どのようになってしまうでしょうか?少なからず、プラスにはならないのではないかと考えています。では、僕が思う「積極的目標」とは、つまりやりたいこと!です。誰しもが将来の夢を持ったことがあるのではないでしょうか?プロ野球選手になりたい!女優になりたい!宇宙飛行士になりたい!教師になりたい!看護師になりたい!これらは全て、自分のやりたいことです。叶わなくても世界は何の変化もなく回り続けます。しかし、そう決心した時、自分の心の中は多少なりとも変化があるはずです。やる気に満ちたり、気合いが入ったり。そのやる気や気合いが毎日継続すれば、人生が楽しくなりそうじゃないでしょうか?では、具体的にどのような目標を立てればいいのか。将来の夢レベルの大きな目標をたくさん掲げたところで、結局叶わずやーめたとなるのがオチです。自分のやりたいことを思い返してみてください。大きな欲望もあれば、叶えられそうな小さな欲望もあるはず。朝早く起きれるようにしたい!読書を趣味にしたい!余裕をもって行動したい!野菜を毎日食べたい!このような欲望なら、自分の意志次第で今からでも始めることができます。そんなことが目標になるの?って思われるかもしれませんが、目標と定めなければ5分後には忘れていることでしょう。いつでもできる小さい目標から始め、達成し、自信をつけた上で少しレベルの高い目標に挑戦する。達成した目標は、当たり前になるように習慣化していく。これが、僕が思う理想の「積極的目標」です。

 「目標」が大切な理由のその2 自分に自信がつく

 先ほども述べたように、目標を達成することが自分に自信がつくことに繋がります。幼いころから、僕は自分に自信がない人間でした。周りが助けてくれるから、それに頼りきりでした。大学一年生の頃、新たな生活から困難な日々を送っている時、「これは、自分自身が生まれ変わらないとだめだ。」と本気で思いました。それは毎晩ひとりで泣くレベルで。それから僕はこの先変わるではなく、今変われることに焦点を当て、試行錯誤を繰り返しました。それから、良くも悪くも今は自信に満ち溢れています(笑)。最近は、朝早起きして30分勉強することを心がけています。まれに、昨夜用事で遅く眠った時や睡眠欲に負けて達成できない時もありますが、その時は「しゃーない、しゃーない」と思ってます。しかし、達成できなかった次の日は、いつも以上にやる気を出して臨んでいます。では、なぜ自分に自信を持つことが良いことなのか。答えは簡単です。人間は誰しも、自分のことが好きだからです。実際に心理学的にも結果が出ています。大勢の人から一斉に話しかけられたとき、自分の名前だけははっきり聞こえてたり、人と会話している時に名前を呼ばれると反応してしまったり、名前を呼ぶ人を意識したり。皆さんは作文なんかを書く時、「私が」や「僕は」から書き始めていませんか?それは自分のことを知ってほしい証拠。欲は全て自分主体です。そして、自分は自分のことが好きだと自覚したその時、幸福にぐっと近づくことができます。そして、日々の目標達成は、その自覚の引き金になります。朝早起きするだけで幸福になれます!野菜を毎日食べるだけで幸福になれます。自分のやりたいことをやっているだけで幸せになれます。

 

 以上が、僕の「目標」の大切さについての考えです。本当はもっとたくさんのことを書きたかったのですが、初投稿であまりにも長すぎると読まれる方も辛いかと思い、自分の伝えたいことの中でも2つをピックアップさせていただきました。実はこの後、目標を達成するための方法(自分が実際に実践していること)を書こうと思っていたのですが、それは次回に回します。良ければ皆さんも、「積極的目標」を実際に取り入れてみてください!!

 

 

以上で今回の投稿を終わります。僕の考え方を訂正してくださいm(__)m